つないだ命

生きるために、どの時代も闘わなければならなかった。元残留孤児の私の人生をつづります。1984年に帰国し、ふるさとの高知県で暮らしています。

(34)お祖母ちゃん、ごめんなさい

 

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 姉の恵さんから返事の手紙が届いた。

 姉妹の写真も同封してあった。恵姉さんは親族を代表して私が送った「十の答え」を確認し、私が妹であることを受け止めてくれた。

 返信には、私の祖母が他界していたこと、そして私の手紙を受け取り、嬉しさや悲しさなど複雑な気持ちであったことが記されていた。私はお祖母ちゃんに会えると信じていたから、あれほど苦難な道を乗り越えてきた。あまりにも長過ぎた歳月だった。お祖母ちゃんがどれほど悲しい気持ちで過ごしていたか、考えるだけで涙が止まらなかった。本当にごめんなさい! あの戦争を起こした人達が私たち家族を不幸にしたのだ!と叫び声を上げた。

 恵姉さんからの返事(原文ママ

 

 千代ちゃん!懐かしいお便りと写真を本当にありがとうと存じます。あなたと別れて今までの四十一年歳月の空白時間は、あなたにとっては、苦難の連続であり、私たちが想像を絶する日々であったことを知り、悲しくてなりません。

 石川卯吉さん達が帰国してきた際に、父やあなたの様子は少し聞きましたが、この度のあなたからの手紙によって父の死亡時の状況をあらためて確認できました。可哀想でなりません。戦争の悲惨さをあらためて痛感いたしました。

 祖母は生きていた時にあなたの消息を捜すため県の生活援護課に調査のお願いをしましたが、今の様に中国との交流は自由ではなく、ましてや在留日本人孤児や同胞が身元を明かさなかった状況下において、調査に限界があり、1963年に県の生活援護課としてもやむなくしてお父さんと千代ちゃんの死亡宣告を出さざるを得なくなりました。

 これはあなたのことだけではなく、多く消息のない同胞に対して出された仕方のない措置であり、以降は、死亡した者と見なされ今日までに至りました。でもあなたがもし生きていれば、何時かはきっと連絡が取れる筈だと心の中に思い続きて来ました。

 この度、あなたの積極的な行動によりあなたが元気に暮らしているとの近況を知り、驚き、嬉しさで胸が一杯です。あなたと生活を共に過ごしたのは十年余りであって、その四倍も長い歳月の空白を埋めるためには、昔の記憶の糸口をたどり着いていただきたく、あのような手紙を差し上げました失礼をお許しください。

 タイムトンネルを抜けて昔の生活が今日の様に見えてきた。例えば故郷の家の構造や家族構成、附近の環境など実に鮮明に記憶しておられることに感心いたしました。如何にあなたが日夜故郷のことを思いながら今日まで生活して来られたことが察せられました。私の妹、千代であることを確認できました。一日も早くお会い出来ますように手続きを進めていきますからね。

 祖母が生きていれば、本件のことはどんなに喜んでくれたことでしょう! 本当に残念です。今日は、あなたの手紙を持って妹の滝子と一緒に墓参りに報告して来ました。祖母は墓場の中できっと喜んでいることと思います。

 あなたも今は三人の子供宝に恵まれ幸せな生活をなされていらっしゃる様子に嬉しく存じます。私も二人の子供がおり、長女は27歳、次女は22歳。2人とも社会に出て働いています。私たちも母親が生きている時は本当に幸せな生活でしたのに、母の死を機に家庭は石垣が崩れる如し、姉妹別れ離れの生活を余儀なくされ、みんな苦しい思いをして来ました。家庭は、やはり両親が元気に働けば子供達にとってはこの上にない幸せです。

 お体に十分気を付けてお暮らしてください。末筆ながらご家族の皆様によろしくお伝えくださいませ。

5月22日

恵より